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自分らしく輝く黄金の鶏になりたいあなたに送る・・・ 体当たり 屋台ビジネス物語を書き下ろしました。
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実は、中学校から働く学生だったのです・・・
学生の頃は、幼くして如何にして稼ぐか?などと、毎日のように考えておりました
株式取引や、副業などあらゆる事を試してみました。

そして、ある時、屋台ビジネスに出会いました。 今いる僕へのきっかけになった物語、【 屋台ビジネス物語 】 無料レポートにて配信中 こちらをクリック

1978年 埼玉県越谷市生まれ 生まれも育ちもこの方26年、生粋の埼玉県人越谷育ちでありまする。(どこかで聞いた事のあるようなくだり)
地元の小学校、地元の中学校を卒業し
高校はクレヨンシンちゃんで有名な春日部市のとある高校に進学
畑のど真ん中にある高校に、放課後の活動と言えば
麻雀の日々、時には学校に泊まるなどしてロクでもない学生でした。
そんな学生でも、進路はなぜか気になるもの?
フツーに大学を進学を目指し、受験に挑むが見事失敗。。。
1年浪人もするも、浪人期間中に気張りすぎて
入院・手術を繰り返し、毎晩12時間以上勉学に励むものの
なんとか滑り止めの大学に入学!!
大学に入ってからと言うもの、一端の大学生らしく
テニスサークルなるものにうつつ抜かしつつ、
九官鳥ロボットのように唱える飲み会のコールに飽き飽きし
1年でサークルを離れる。
2年生後半から国際経営ゼミナールに出会い
大学生活が一変し勉学に励む日々となる。
ゼミでのゼミ長の実績を買われてか
大手のシステム会社になんとか入社!?
毎晩午前様の日々に毎朝吐き気がする毎日を
過ごしながらシステム営業として活動するも
まぐれで会社に表彰され、勘違いをするも、
商品が高級魚沼産コシヒカリ5Kgに愕然とする。
3年目のとある話で営業部から離れ
企画部に異動となる(左遷か!?)
4年目の春を会社で迎える事無く
金の卵ブリーダーとし、自由な生活を過ごす現在に至る。
さて、ここまでどうでしょうか?
なんでもないごく普通の社会人でした。
どこにでもいる男であります。
そんな男がどうして
今ここに立っているのか、もうちょっと詳しくお話を
させて頂こうと思ってます。
遡ること、中学校の頃から
実は僕は働きづめの日々でした。
毎朝はサッカー部の部活動をしながらも
早朝に起き、親が働く新聞配達の手伝いを
する日々。。。
そして、高校への進学が決まる頃には
地元の弁当屋で働く事に。
時給はなんと420円
高校へ入るも、これまたサッカー部に
従事しながらも、引越作業員のバイトに明け暮れる日々
猛暑の中、団地から団地に引っ越す?
団地の5階から、違う団地の3階へ引越です。
団地ですから勿論、エレベーターはありません。
半分いじめのような日々でした。
ある時は、朝の4時に起きて
日払いのバイトへ出かける。そしてそのまま
夜勤へ突入する。
ある時は、印刷工場へ12時間ぶっ通しのベルトコンベアー
ある時は、海の見える流通センターへ
ある時は、自衛隊駐屯地で機密書類の搬出
高校の時だけでも
どれだけアルバイトをしたか解りません。
数十種の業種に渡ったかと思います。
当時、特に家は貧乏ではありませんでした。
ですが一抹の不安は家族にはありました。
そう、それは父が勤める会社の倒産の危機です。
結局、会社が倒産するのは
大学へ入学する頃になるのですが、
父が会社で昇進する事に重く責任がのしかかると
話し込む親の背中を見ていた自分がそこにおりました。
なぜか、当時の自分は
働きたかった、稼ぎたかった
お金を手にしたかったのである。
だから、働いた、働いた。
大学受験には、当然の如く、失敗し
中途半端にバイトをしながらも、予備校に通う日々に
1日12時間以上の勉強にも、
不運にも、肺気胸と言われる再発の可能性のある病気に
再発率90%無しと言われる最新の手術に挑むが
ことごとく、再発し、さらに再発率95%無しと言われる
手術に挑むも、みごと再発。。。
「 あら、井手君、また来たの? 」
と冗談交じりに言い放った若い看護婦を今だかつてない
憎悪を初めて感じた4度目の入院。
そんな苦難を乗り越え
なんとか滑り止めの大学に入学するも
健康体になった自分にもはや止めるものは無し
ミーハ−なサークルはもとよりバイトに励む日々。
ちょうどこの頃、父の勤める会社が倒産する事となる。
息子にとっては複雑な心境である。
さても、大学の頃は
某ホテルのウェイターとして、がつがつ稼ぐ事
時給1500円まで登りつめる。
1日15時間働く事もザラにあったのである。
この頃、ちょうど2000年の記念すべき
瞬間を迎える大晦日には僕はホテルのウェイターとして
働いていたのである。日本人のほとんどが家族と過ごす年末年始に
僕はどうしていたかというと、タコ壺のようなホテルの寮で毎日の12時間をオーバーの仕事をこなす日々であった。
2000年の元日という記念すべき瞬間を祝う人達を
ウェイターとしてサービスする自分はなんとも
侘しいものである。
深夜2時過ぎまで働き、元旦は6時からレストランで働く
こんな生き方もあるだろうと思いながら
この上ない虚しさを感じたのであった。
そんな荒稼ぎをしていた学生の頃であったが
ある時、寮の風呂場で自然と鼻血が出ている事に気がついたのである。
小学校から高校まで、一度も学校を休んだ事のない
超健康優良児がである自分が、いきなり鼻血がでる恐ろしさは
忘れもしません。またあの入院の日々が脳裏に浮かぶ。。。
思わぬ流血に労働集約的仕事の限界を見るのであった。
そうこうして、がっつり稼いだバイト代は
海外1人旅行へと消えてなくなり、また同じように稼ぐ日々
大学でもっともきついと言われるゼミに向かいながらも
バイトへ励む日々。
この時、儲かる仕事やビジネスはないかと
四六時中考えてました。株式投資を始めたものこの頃です。
そうして、大学4年を迎え
就職活動もなんとか終焉させる事が出来たのは、
夏の7月頃でした。
この頃から、またバイトの日々が始まるのである。
システム業界に就職する事が決まったこの時から
バイトもシステム系にシフトする事となる。
何を勘違いしたのか、お得電話回線のマイラインの契約営業マンの
仕事を街頭でしつつ、システム?と言うより営業としてのスキルを
磨く日々が続く。(今でいうYahooBBの街頭勧誘と同じです^^;)
会社は、システム会社に入社する事となるのであるが、
入ったら入ったで、毎晩深夜までの仕事に従事する事となり
その癖、9時出社と言うありえない勤務体系に
血の気の引いた顔で出勤する日々を繰り返す。
(この頃は、終電で帰れる事が最高の喜びでした。。。)
朝起きると吐き気がするんですよね。
起きて20、30分は動けないのです。
今思えば異常な状況ですよね。
死んだ魚のような目でデスクのPCに向かう日々。。。
こんな毎日は、幸せだと思いますか?
今だから言えます。異常な状態であると
当時は、全く気が付きませんでした。自分の状態を考える余裕がないのですね。
ある時、背中にしこりがある事に気がつきました。
ちょうど肝臓辺りに肉の塊がゴロゴロするのです。
とてつもない不安に駆られる自分がそこにいました。
結果は、良性の診断でありましたが
日々の疲れからできるものである事が解りました。
これがもし、悪性のものだったら・・・26歳で肝臓ガン!?
洒落になりませんよね。
こんな事もあった自分でありましたが
実の所、会社を辞めようと思った決定的な理由ではありませんでした。
毎晩のように深夜まで働く日々でありましたが
週末は休む事無く自身のやりたい事をやっておりました。
同業でも他社の事業や仕事がわからなかったから
公民館を借りて友人・知人で自社プレゼン大会をやったり
投資勉強会を友人知人集まってやったり
異業種交流会をやったり
毎回、人を代えて、題材を代えてプチセミナーの開催ですね。
とにかく激務に埋没して週末を家で休息する事はありませんでした。
自分の興味がある所にセミナーに参加したり
勉強会を自ら主催したりとしておりました。
その過程の中で、自分自身は何に興味があるだろうかと
常日頃考えて過ごす日々でした。
ある時、高校からの寿司職人の友人から週末にバーベキューにお誘いを受けました。
ちょうど2003年の5月のGWでした。
埼玉県野田市のとある広場にバーベキューを開催したのですね。
GWですから、家族の行楽で広場は溢れんばかりです。
そこでみかけたものは、広場のとある一角にある露天商が出店しておりました。
広場にぽつんと一つだけ・・・
一つだけしかないため、広場に溢れる
お客さんを独り占め状態なんですね。
それは、もう尽きる事のない行列の嵐っ
「なんと屋台は儲かるビジネスなんだ!?」
と思った寿司職人の友人と自分は
お互いが独立したいが為の資金を蓄えるために
自分達も屋台ビジネスをやる事に決心致しました。
そう、この繁盛する屋台を見て決断したのです。
この屋台ビジネスの体験は今、僕がここにいる
きっかけになったのです。
この屋台ビジネスの物語は、メールマガジンで以前に
数話でお話させて頂いたものですが、今回、この物語を
大幅にバージョンアップさせて頂き、無料レポートと
致しました!!
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